京都市中京区にある神泉苑…平安京の時代は南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ、池を中心とした大庭園ででしたが、今はその広大さはありませんが今でもその雅な姿だけは残しています。
春は桜、秋は紅葉と四季折々の姿を見させてくれます。今は京都の町の中にひっそりとその姿を保っています。
12月4日…動画を新しく撮ったもの(11月25日撮影)に変更しました。
11月14日から比べると紅葉も進んでいます。
都人がみつけた京都のありふれた風景~PHOTO & BLOG
京都市中京区にある神泉苑…平安京の時代は南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ、池を中心とした大庭園ででしたが、今はその広大さはありませんが今でもその雅な姿だけは残しています。
春は桜、秋は紅葉と四季折々の姿を見させてくれます。今は京都の町の中にひっそりとその姿を保っています。
12月4日…動画を新しく撮ったもの(11月25日撮影)に変更しました。
11月14日から比べると紅葉も進んでいます。
京都市中京区河原町三条上る
カトリック河原町教会…都の聖母小聖堂
京都河原町教会には主聖堂のヴァリオンホールの地下にもう一つの聖堂があります。
その小聖堂には「都の聖母」と名付けられたブロンズ像が安置されていて、これは1873年パリミッション会のヴィグルー神父によって将軍塚に埋められました。
その6年後に京都に赴任したヴァリオン神父により掘り出され、1890年京都で初めて献堂された河原治教会に安置されました。
それにちなんでこの地下の小聖堂は「都の聖母」小聖堂と名付けられ、ヴァリオン神父により掘り出された都の聖母像は現在ここに安置されています。
この聖堂は2004年に作られたもので壁面が珪藻土の土壁で塗られ、聖母が土の中に埋もれていた時をイメージして作られています。また、ダウンライトの柔らかい光が空間を包み込み静かな聖堂の中が別空間のように感じることが出来ます。
50人弱がミサを行える広さのこの小聖堂では、火・水・金曜日の夜間のミサが行われています。
20人あまりで行われるミサはいつも神聖な雰囲気で、日常では感じることの出来ない静かな時間の中に祈りも深まってゆきます。
一人でこの聖堂の中にいるとそんなに大きくない空間なのになぜか圧迫感も感じず、むしろ日常の空間から離れた開放感を感じます。
この開放感を逃避と呼ぶのか…それは人それぞれの心の感じ方でしょうが、いまの現代社会の慌ただしさや殺伐とした空気感を思うとき、誰もいない空間に身を置いて少し黙想などでもして自分の心を見つめ直すことも必要かと思います。
この市街地の地下にこうした聖域とも呼べるような場所があることを、ほとんどの人が知らないでしょう。
そうれはちょうど、聖母マリア像が将軍塚に人知れず埋められていたことと重ね合わすことが出来るのではないでしょうか。
京都市東山区大和大路通四条下る
「ゑびす神社」
1月8日から12日まで十日えびす(初えびす)が行われています。
9日は「宵えびす」で日曜日ということもあって、大勢の参拝者がありました。
10日「本えびす」の大祭、11日は「残り福」祭です。
京都の「ゑびす神社」は大阪「今宮戎神社」・西宮「西宮神社」と並んで日本三大えびすと称されているそうで、関西では「えべっさん」と愛称で呼ばれることが多く、大阪のプロバスケットチームは「えべっさ大阪」といかにも商売の街らしくユニークな名前を付けています。
やはり「えべっさん」は商売の神さまということで、商売人の方は「十日えびす」によくお参りに行かれます。
「十日えびす」といえば縁起物の「福笹」が有名で、笹に飾りを付けてもらってそれを家や店に掛けておくと福が来るといわれています。
また、8日の招福祭には宝恵かご社参があり、東映の女優さんが芸妓に扮して紅白のかご(大阪では「宝恵駕…ほえかご」と呼んでいる)に乗り「商売繁盛で笹もってこい」のかけ声をかけく神社を参拝しました。
この十日えびすは関西以外ではされてないらしく、「えべっさん」「商売繁盛で笹もってこい」と言った関西弁が似合う祭りだと思います。それに、「本えびす」が終わった後も「残り福」と
最後の最後まで福をもらおうといういかにも関西らしい考え方だと思います。
京都市上京区馬喰町
「北野天満宮」
北野天満宮に初詣に行ってきました。
この神社は菅原道真を祀った神社で、学問の神さまとしても有名で毎年多くの受験生や修学旅行の学生がお参りに訪れます。
北野天満宮では正月には書き初めが行われ、25日は初天神で露天がたくさん店を出しています。毎月25日露店が並ぶ縁日が行われており「天神さん」と呼ばれ、京都では毎月21日に行われる東寺の弘法市(弘法さん)
と共に有名です。
京都では北野天満宮のことを「天神さん」と親しみをこめて呼んでいます。
今日も初詣の参拝者が多く天神さんに訪れていました。参道の両側にはたくさんの露店が並んでいて、楼門には干支の「卯」の大きな絵馬がかかっていました。
京都市上京区
「京都御苑」「京都御所」
京都御苑は東西は烏丸通・寺町通、南北は丸太町通・今出川通が囲んだ中にあります。
現在の御苑のある場所は明治天皇とともに、公家らが明治 2年(1869年)東京へ移った後、公家屋敷などが広がっていた京都御所周辺は空き家の町となり荒廃し、その後明治天皇は、明治10年(1877年)御所の保存を命じました。これを受けて京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去し、整備したのが京都御苑の始まりで、昭和 24(1949年)には国民公園として開放されるようになり、現在では御苑内を災害時の広域避難場所として指定されています。
京都の三大祭りのうち春の「葵祭」秋の「時代祭」はこの御苑から出発し、それぞれ上賀茂神社と平安神宮へ向かいます。
御苑内には京都御所、仙洞御所、京都大宮御所、そして平成17年(2005年)4月に開館した京都迎賓館があり、御苑内には宮家の邸宅跡も残されています。
そのほかテニスコートや公園・厳島神社などがあり京都で唯一の国民公園となっていて、休日は問わず平日にも多くの人が訪れます。
また、御所内は一般には公開されていませんが、春と秋には期間決めて一般公開が行われていて、毎回多くの見学者が訪れます。
ちなみに、京都の人はすべてではないと思いますが、京都御苑そのもの「御所」と呼んでいます。
御所と言えば御苑の中にある京都御所のことを指すようですが、私たちの頭のイメージの中には御所=御苑、となっています。
京都市左京区岩倉幡枝町
顕本法華宗 総本山 「妙満寺」
京都市街から車で約30分、岩倉にある妙満寺です。
妙満寺を創建した日什大正師(にちじゅうだいしょうし)と言う人で、もと天台宗で名を玄妙といいました。
元は京都市中京区にある寺町二条(現在の京都市市役所の北あたり)
にあったそうでですが、付近の都市化が進み環境の変化により昭和43年に「昭和の大遷堂」ということで、現在の岩倉に移ったそうです。
この妙満寺は顕本法華宗という宗派のの総本山でもあります。
この日も晴天に恵まれて境内の紅葉も進みとてもきれいでした。
やはり京都市内から離れているためか訪れる人もまばらでした。
ただ、京都市内の観光コースになっている寺と違って、人が少ないが故にとても落ち着いた気持ちになります。
本坊の縁側に座って「雪見の庭」を眺めていると時間がたつのを忘れさせました。
境内や木々の手入れも行き届いており、この日も晴天の中ひときわ紅葉も輝いていて、境内を歩いていてふと「極楽浄土ってこんなとこ」て、思わせる雰囲気がありました。
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| 送信者 2010年11月 |
妙満寺の参門
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| 送信者 2010年11月 |
境内の中では楓の木も紅葉まっ盛りです。本坊には展示室もあり見学することが出来ます。
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| 送信者 2010年11月 |
本坊の中から見る雪見の庭。冬に雪が木に積もるときれいだそうです。
以前は庭の向こうに比叡山が見えたそうですが、今は手前の山の木で見えなくなっ
ています。
縁側に座って庭を眺めていると何か心が洗われるようです。
京都市北区小山上初音町
「カトリック小山教会」
京都市北区小山にあるカトリック小山教会です。 この教会は衣笠、西陣、西院、宇津、山国の各教会と共に京都教区の北ブロックに所属しています。
信徒数も少ないですが、その分家族的で一人一人が教会を支えていると言う雰囲気のする教会です。毎日曜日午前9時から行われる主日もミサも少人数ですがとても落ち着い中で行われ、ミサの進行も教会でのミサと言うよりも手作りの家庭ミサといった感じに見えます。
初めて小山でのミサに授かると、家族的な雰囲気に少し溶け込みにくいところがありますが、なれてくると少人数ならではのミサの雰囲気や、祈りの時の心の合わせ方がとてもなめらかに感じられ、みんなの心が一つになっているという雰囲気の中で祈りに集中できます。
今、小山教会では信徒数が少なく教会の維持が難しくなってきているそうですが、小規模ならではの特徴を持った教会がいつまでも存続してほしいし、カトリック教会が出来始めたときの原点は、こういった小規模の教会が始めではなかったのかと思います。
そういう意味でもこれからも大切にして行きたい教会の一つではないでしょうか。
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| 送信者 2010年11月 |
主日のミサが終わった後の聖堂。
この日も20人弱でミサが行われました。
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| 送信者 2010年11月 |
教会は新町通りに面してあります。
「御霊神社(上御霊神社)」
上京区上御霊前通烏丸東入上御霊堅町
平成22年1月1日(金)元旦。
上京区にある「御霊さん」に初詣に行ってきました。
烏丸今出川を北へ、上御霊通りを東に入ると御霊神社(上御霊神社)があります。
初詣と言うことで参拝者も多いと思っていましたが、まだ元旦と言うことで少し少なめでした。
御霊神社は、貞観5年(863年)桓武天皇の時代に各地で疫病が流行しました。その時に「霊」の祟りであるとして、平安京の神泉苑で「御霊会」が催されました。この御霊会が上御霊神社と下御霊神社(中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)の創祀であるとされています。
主祭神は、崇道天皇・他部親王・井上皇后・火雷神・藤原大夫神・文屋宮田麿・橘逸勢・吉備大臣です。
宗教法人としての正式名では「御靈神社」となっており、京都では「御霊さん」として親しまれており、毎年五月に御霊祭りが行われています。